薄田隼人の最期☆ | げむおた街道をゆく

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薄田隼人(兼相)は、

大力の侍であり、備前吉景の大太刀を二尺四寸に摺り上げたものを常に帯びていたが、
これは幅広の大業物であった。
 

大坂冬の陣の時、薄田は、この刀で3人と渡り合い、

一人は兜の真っ向を拝み打ちにし、鉄の筋甲を打ち破り額に二寸切り込んだ。

その者は尻からどうと倒れ、死んだ。
 

もう一人は胴を払って打ち倒し、最期の一人は驚き恐れて逃げ去った。

「後藤合戦記」によると、大坂夏の陣、道明寺口の合戦において、

薄田隼人は一隊を率いて、
水野日向守(勝成)の部隊と戦った。

 

ここで薄田の部隊は敗れ、備え乱れ立ち士卒散乱したが、
薄田はその場を一歩も退かなかった。

ここに水野の家人、川村新八郎重長が鑓で薄田に突きかかった。

早々槍を合わせ、やがて刀を抜いて撃ち合った。
最期には組み合い、上に下にと揉み合ったが、

薄田は刀を取り直して新八郎を突こうとした。

ところが、その刀は幅広であったので、取り回しが自由にならず手間取っていたところに、

新八郎が、差添えの小刀を抜いて、薄田の鎧の草摺の隙間に突き通した。
そうして弱った所を跳ね返して首を取った。

川村新八郎は、敵の大将を打ち取るという抜群の功名により、

将軍より直々の感状を頂いた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 橙武者、薄田兼相

 

 

 

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