土岐の筋目☆ | げむおた街道をゆく

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斎藤山城守(道三)は、男子三人を設けた。

長男は、義龍と申した。
 

ある時、山城守が他行にて城を空けた所、義龍はその母に向かって、

このようにうに言った。
「山城守殿は美濃一国を従え信長を聟に取るほどの威勢がありますが、

筋目のない侍であるように承ります。
武士は氏を威勢に仕るものであるのに、口惜しいことです。」

これを聞くと、母は涙を抑え、
「幼き心にそのように口惜しく思われたか。

然しながら、その方には並びなき系図があります。
密かに、めのとにお尋ねなさるように。」
と言って、またさめざめと泣いた。

義龍は不思議に思い、めのとに密かに尋ねると、めのとは承って「声が高いです。」と、
小声になって申した事には、
「御父山城守殿は筋無き都の笠張りと承ります。

或夜の夢のお告げにより、大殿様(土岐頼芸)に奉公され、

日々立身され、御家老まで上られ、終に大殿様を亡ぼし御台様を奪い取り、

国を横領成されました。
古は大桑と申す所に御在城あったのですが、城内が狭いということで。

この稲葉山に城を構えました。

若君はその時、御母君の腹中におられました。

つまり土岐の御筋目なのです。
どうか他の人に漏らさないで下さい。

御舎弟御両人は山城守殿のご子息です。」

そう悉く語ると、義龍は無念に思い、後見である日根野彌右衛門(弘就)と云う者と語らい、
「山城守殿は我が親の敵である。どうか打ち取り、我が無念を晴らしてほしい。」

と、涙とともに申した所、彌右衛門承り、

「この儀は私にお任せ下さい。

先ず家中残らず、下々まで御情けをかけられ、

『若君ほどの殿はあるまじ。』

と、一家中に思い入れさせ、

その時に至れば、私に考えがあります。

ですのでその時までは顔色にも、

その気持を出してはなりません。」

と、よくよく諌め、そのため義龍は家中に残らず御情けをかけられたので、

今では、
『この君の御事ならば御馬の先に立ち、御命に代わらんものを。』

と思わぬものは居なかった。

ある時、山城守殿鷹野に出たが、彌右衛門は「時こそ至れ」と、

若君を語らい御舎弟両人を、御振舞として呼び出し、義龍、彌右衛門は手づから膳を据え、

折を伺って兄弟の首を、水もたまらず打ち落とした。

それより大手を固めて門を閉め、矢倉矢倉に弓鉄砲を仕掛け、用心厳しく構えたため、

山城守殿は鷹野より俄に取って返して合戦に及んだものの、

一家中一味の上は是非もなく討ち死にした。

誠に、栄華盛ん也と雖も主を殺せし天罰が無くなるわけではなく、

幾程もなくして、あえなき死をしたのである。

その後日、日根野彌右衛門は備中守と成った。

義龍は政道正しくあったので、信長公の下手に立つことは無かった。

 

しかし龍興の代に至り、おごり強く政道正しからざるによって、

信長のために終に滅ぼされた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 長良川の戦い、斎藤義龍

 

 

 

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