丹羽長重の家臣に、南部無右衛門と、永原松雲という男がいた。
無右衛門は武辺者として知られたが、
傍若無人の振る舞いがひどく、妻帯せずに養子をもらい、
招かれもせぬ宴席に養子まで連れてやって来ては膳を平らげ、
しまいには重臣が長重を招いた席にも現れ、勝手に飲み食いした。
たまりかねた重臣が主君に苦言したが、長重は、
「無右衛門の行状はあきれ果てたものだが、
ヤツの武勇はそれあってのもので、今さら改めさせても、
角を矯めて牛を殺すようなものだ。捨て置け。」
と言うので、みな無右衛門に白い目を向けながら黙っていた。
一方、松雲は軍学や有職故実、和歌等に通じ、
「あれこそ器量人よ。」
と家中から賞賛を浴びる身だった。
面白くない無右衛門が、毒を吐く。
「ふん、口先の軍学など実戦の役に立つまい。
いざ戦になれば手に覚えた、わしの早業に比べるべくもないわ。」
これを聞いた松雲も、
「無右衛門の如き葉武者は、しょせん槍一本の働きのみ。
味方を勝利に導くような大功は、有り得ぬ。」
と、罵った。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの機運が高まると、
丹羽家中には人質を出すよう触れが出された。
養子しか家族のいない無右衛門は、これを断ったが、
「こんなお触れは、あの松雲めが軍学者ヅラして、
わしへのイヤガラセに入れ知恵したものだな!
よし、殺す。」
逆恨みして松雲の屋敷に駆けつけると、松雲への面会を申し込んだ。
日ごろ仲の悪い無右衛門の来訪に、イヤな予感がした松雲は居留守を使ったが、
無右衛門は下男の断りを無視して屋内に入り、
松雲を発見すると脇差を抜いて松雲を押し倒した。
下になりながらも松雲は柔術で無右衛門のヒジを押え、
腕を絡み取ると、脇差を奪い取って部屋の隅へ放り捨てた。
しかし、腕を取られながらも暴れることをやめない無右衛門は、
「ガ―――――ッ!」
松雲の鼻っ柱に噛み付き、松雲の家の者五、六人が取りついて、やっと押さえこんだ。
とんでもない騒ぎを起こした無右衛門だが、『戦の前に人数は減らせない』として、
不問に付された。
その後、浅井畷で丹羽と前田の間で戦が起こり、
丹羽家家老・江口三郎右衛門が敵を深追いし過ぎ、苦境に陥った。
一隊を任されていた松雲は、
「もはや手遅れであり、救援は無益だ。」
として、これを傍観し、自分の隊を温存した。
ところがその時。
無右衛門が前田軍の真っ只中を駆け抜け、見事に江口隊を救出し、形勢を逆転してのけた。
無右衛門は、「長重様の言葉に違わぬ奴。」と賞賛を受け、
松雲は、「アレは、あてにならん。」と評判を落としたそうな。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!