伊達政宗の教育係である片倉喜多は、片倉小十郎の異父姉であり、
鬼庭綱元の異母姉であった。
才媛として名高い彼女は、
政宗にとってまさしく”育ての母”ともいえた。
上洛した政宗に従い、彼女も伊達家の京都屋敷にあった。
そんなある日、政宗留守中に、秀吉がやって来た。
好色な秀吉は早速美しい侍女に目をつけ、
下げ渡してくれと頼んだ(侍女ではなく政宗側室説もあり)。
喜多は困ったが、時の権力者には逆らえず、
やむなく彼女を秀吉に渡した。
すると帰宅した政宗が大激怒!
「あの女はオレが目をつけていたのだ! どういうつもりだ!」
と喜多を斬り殺そうとした。
すると喜多は平然と、
「家の一大事と女への情け、どちらが大切ですか。
私が間違っていると思うなら斬りなさい。」
と泰然自若として反論した。
さしもの政宗もこれには詰まり、彼女を追放処分とした。
その後、彼女は、弟の領地でひっそりと庵を結び、
藩主の育ての母とは思えぬほど、寂しく一生を終えたと伝わる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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