主人を裏切った、天罰でしょう☆ | げむおた街道をゆく

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伊達政宗が、会津を速やかに制することが出来たのは、

会津代々の家老、平田、松本、佐世、富田といった、

世に蘆名四天王と呼ばれる人々を始めとして、

多くの重臣たちが謀反したためであった。

中でも安積郡の押さえとして猪苗代という城があり、

ここに猪苗代弾正(盛国)といって、
蘆名数代の臣下があったが、欲に心を奪われ代々の主人に逆意して、

政宗を引き込み、彼を猪苗代城に入れた事が、蘆名滅亡に直接つながったという。

かくして政宗は会津を存分とし、知行割をして功臣を賞した。
この時、猪苗代盛国は、伊達安房守成実を通して申し上げた。

「かねがね会津別心の時、三ヶ条の望みとして申し上げていました通り、

北方の半分を下されますように。」

政宗は尋ねた。
「弾正は、北方にどれほどの所領を持っているのか?

そなたに半分与えるとは聞いていないが…。」

「私は北方には、領分少しもありません。

恥じ入ることですが、譜代の主人に逆意仕ったのも、
このためであります。」

そして盛国の家臣である薄源兵衛と申す者が発言した。
「それがしが、その書付を書きました。”半”の字が無ければ切腹いたします!」

そこで政宗がその書付を取り寄せると、

そこには『北方分』とだけ書かれており、『半』の文字は無かった。

盛国は驚愕し、
「主人を裏切った、天罰でしょう。」
そう言って猪苗代へと帰った。

しかし彼が伊達勢を引き入れなければ、

会津はこのように速やかに奪うことできなかったと、
政宗は北方において、五百貫の加増を盛国に与えたという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 伊達家に寝返る、猪苗代盛国

 

 

 

ごきげんよう!