上杉家の関東最前線に配されながら、情勢次第の行動をとった北条高広。
謙信死後の御館の乱で、景虎=北条派に属したものの、
景虎が自害すると武田勝頼に臣従し、織田がくれば滝川一益に従った。
ところが本能寺の変で織田までがいなくなると、
後北条と徳川の同盟が成立、後北条の北関東侵略にさらされるようになる。
天正十一年。
後北条氏は真田領を奪取すべく、高広にも出兵を命じた。
明らかな踏み絵だが、高広はこれを拒否し、抗戦の道を選ぶ。
そして、援軍を頼んだ先は、上杉景勝。
どうせ北関東死守のために、景勝は動かざるをえないし、
そうすれば佐竹や宇都宮ら、反北条勢も動くだろうと、
たかをくくっていたらしい。
ところが、領内すら不安定な景勝の動きは鈍く、数ヶ月たっても牽制すらしてくれない。
焦った高広は、直江兼続らに長々と書状を送って援軍を懇望したが、
たいした効果はなかった。
高広は半年以上も孤立した戦いを繰り広げ、ついに降伏した。
その後の彼の人生については、よくわかっていない。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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