長享の乱で争ったあと、山内上杉氏が扇谷上杉氏と和睦した際、
「もともと両上杉が不和になったのは、自分のところの家老の長尾伊玄(景春)と、
そちらの宿老の太田道灌が互いに奢侈を極め、威を争ったためである。
こちらは景春を殺すので、そちらも道灌を殺してくれ。」
と扇谷上杉に言ったため、
扇谷上杉はその言葉に乗せられて、太田道灌を殺してしまった。
しかしこれは山内上杉の計略であり、山内が景春を殺すことはなかった。
こうして両上杉の和睦が破れた。
これを聞いた氏盛(早雲)は、箱根山に材木を取ると偽り、
日中に大嶋の牛を山の頂上に上らせて、
夜になると牛の角に柴薪をつけ、火をつけ、壮士によって浜辺へと追わせた。
千万の勇士が鐘と太鼓を鳴らしながら攻めてくるようであり、
まさに田単の火牛計そのままであった。
小田原城主の大森氏は大いに驚き、撃退するために兵卒を海辺にむかわせると、
氏盛は反対側の山の方から自ら兵を率い、大森を襲ったため、大森は益々あわて、
兵は潰えてしまった。
こうして早雲は、小田原城を奪った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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