尾張藩初代藩主となった徳川義直は、
藩政に尽力して東海地方の産業振興に大いに寄与し、
自身は質素倹約を旨とした名君であった。
ある時、義直は家臣達に命じた。
「我が家中にて、この者はけしからぬ(無能、傲慢、怠惰…等)と思う者の名、
十名を紙に書いて私に提出せよ。」
つまり、「家中の問題児は俺が直接指導してやんよ!」と言う事だ。
家臣達は、思い思いに紙に名を書き、義直に提出した。
集計した義直は奇妙な事に気づいた。
ほとんどの者が九名の名を書いているのだ。
義直、「どう言う事だ?
確かに、十名の名と命じたはず…。
なぜ皆、十人目を書いていないのか?
誰だ? ここに書けぬ人物の名は…?」
ひとしきり思い当たる人物の名は、すでに書かれてあった。
思案に思案を重ねる義直。
…そして思い当たった!
「そうか! 私か!」
そう。
皆、書くに書けなかった「十人目の名」は当主・義直の名であった。
たとえ名君と称えられても、やはり上司と言うのは部下から煙たがれるのは、
何時の世も同じであった。
義直もこれに反省し家臣には、より気を配るようになったと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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