前田利常の御徒であった澤田新八は、
ある時、利常の意に違えたため、閉門を仰せ付けられた。
そのような中、利常は参勤のため小松より出て金沢の浅野屋に宿泊し、
そこから出立して金沢の町端まで来たところに、金鎖橋のかなたに新八が罷り出て、
田の際に這いつくばっていた。
前田家中の者達はいずれも、
「あれは御折檻人ではないか。どうしてここに?」
と思っている所に、
利常の駕籠も近づき、これに気がついた。
「あれは澤田新八めか?」
「その通りでございます。」
「あやつは閉門をさせておいたのに、どうして罷り出でてきたのか、尋ねてまいれ。」
そこで家臣が新八にこれを尋ねに行くと、
「私は、殿の御在国中には御免して頂けると思い、それを待って閉門していましたが、
お許しはなく昨日参勤のためお駕籠を出立なされました。
そこで、もしかしたら金沢でお許し頂けるかと思いました。
しかし、それも無いのであれば、もはや来年までには頼りも尽きてしまいます。
そのくらいなら死んだ方がましだと思いました。
ですが自害するよりも、御目通に罷り出でて、
誰かに斬り殺されたほうが御憤りも止んで宜しきはずと考え、
こうして罷り出て来たのです。」
新八はこのように語り、これを利常に伝えると、
「1年閉門させても足のいらぬ奴じゃ!
…猿の革の毛巾着を今持っているのか聞いてまいれ。」
そこで尋ねると、
「持っています。ここにあります。」
と、懐中より出して渡した。
利常はこれを御覧になって、
「新八に、それを下げて供をするように言え。」
と命じた。
こうして澤田新八は江戸までお供をし、御奉公申し上げた。
思い切ったことをすれば、お許しになることも間々あったのだと、
これはこの参勤の時、
同じくお供をしていた塩江半右衛門がお話になった事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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