大井川を泳いで参った!☆ | げむおた街道をゆく

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小田原討伐が始まり、
秀吉は京を発って東海道を下り始めた。
 

その頃、出羽角館戸沢家の若き当主であった盛安には、先見の明があった。
彼は東北の大名としてはいち早く小田原討伐への参加を決め、
わずか9騎ながら秀吉の元に参陣するため、
日本海から海路を通り京を目指していた。
 

まあ当然、彼が京に到着する頃には、
秀吉は既に京を発って随分経っていたものだから、
盛安は今度は大急ぎで東海道を行き秀吉を追いかけた。

ところが馬を飛ばしハイペースで進む彼の前に東海道一の難所が牙を剥く。
「箱根の山は馬でも越すが、越すに越せれぬ大井川」
である。

秀吉はどうやらこの先の島田で陣を構えているらしい。
ところが秀吉が川を渡ってから盛安が到着するまでの間に、
このあたりでは大雨が降っていて、大井川は増水し、
とんでもない濁流となって盛安の目の前に立ちふさがっていた。

しかし戸沢家の家運を背負って立つ盛安の熱い気概は、
そんな一級河川の濁流を前にして臆するようなものではなかった。


数刻後、
夜もとっぷりと更けた島田の秀吉の陣に、
たった今、着陣したのでお目通りを請いたいという若武者が現れた。
 

頭の先から爪先まで具足ごとびしょぬれの若武者は、
秀吉の前に通されると、こう名乗りを上げた。

「出羽は角館の住人、戸沢九郎盛安。
此度の戦に是非とも馳せ参じんと、
大井川を泳いで参った!」

秀吉はなんで出羽の住人がわざわざ大井川を越えてくるのかと不思議に思ったが、
大いに驚き、またそんな盛安の行動を褒めたという。

ただそんな無茶をしたせいか、

盛安は小田原の陣中で、24歳という若さで病没することになる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 夜叉九郎、戸沢盛安

 

 

 

ごきげんよう!