慶長16年(1611)8月21日、
奥州会津の周辺で大地震があり、会津若松城の石垣は尽く崩れ、
屏や櫓も尽く崩落したし、殿守も破壊し傾き、
瓦なども全て落ち、人馬多く死んだ。
近辺の山は崩れ川の流れを留め、これによって知行二万石あまりの土地が湖水と化した。
他国ではこの地震の被害はなく、
また柳津本堂が倒れ在家が多く殺された山崩れのあったことなどから、
これは会津の国主である飛騨守(蒲生秀行)が、
神仏を蔑ろにし我意に任せた政治を行っていたために、
天罰を受けたのだと、当地では言われているそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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