浅野長政は、佐々成政に対して意趣があった。
その理由は、この様なところにあったという。
天正13年(1585)、秀吉の越中攻めに、
織田信雄の仲介によって降伏した成政であったが、
越中において秀吉との対面はならず、
引き上げの途中、大津で5日間滞留していいた所に成政は後から追いつき、
大津において秀吉に対し降伏う受け入れられたことへの御礼申し上げるため、
城に上り書院までやってきた。
ここで多くの者達が成政を出迎え、取持衆は、
「御対面成されるまで、どうぞここでゆっくりとお待ちください。」
との丁重な挨拶。
敵対したとはいえ織田家の猛将であった成政に対し、彼を尊敬する気持ちは、
秀吉の家中でさえ強かった、ということであろうか。
そこに浅野長政が現れた。
成政は、長政が秀吉から内々に何か聞き届けた事でもあったかと思い、
声をかけると、
長政は、
「内蔵助(成政)殿は上様(秀吉)に対し謀反をした者である!
御対面は御無用!
私は今も、あなたを切腹させるよう申し上げてきた所である!」
そう言い放った。
これを聞いた成政は、長政を睨みつけると
「弾正(長政)よく聞け。私は秀吉とは、たった今まで肩を並べた朋輩であった。
そうであるからこそ、この内蔵助も、
信長公の御切腹後は、天下の覇権を心がけたのだ。
秀吉の家来であれば謀反ということも可能だろう。
だが私はそうでなかった以上、弾正(長政)の申し様は、
全く聞こえないものである!」
そう怒鳴り、荒々しく長政をやり付けた。
その後、成政は秀吉との対面を果たし、丹波の野瀬郡に召し置かれた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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