天正二十年(1592)、豊臣秀吉はいよいよ、朝鮮に向けて出兵を開始。
後世に言う文禄の役の始まりである。
この年の四月、渡海するための軍船数万隻が、壱岐国風本の港に集結した。
ここから対馬へと渡り、さらにそこから朝鮮に向かうのである。
さてここに、小西行長がいた。
小西は対馬守、宗義智に尋ねる。
「あなたはこの海の案内を良くご存知であります。
今吹いている風を、どのように考えられますか?」
「これ程であれば、順風と言うべきでしょうが、普段よりは少し、強く吹いているようです。」
「ほう、順風ですか。
多少強く吹いているからと言って、この海を渡れないということはありませんな。」
行長は配下の船に、密かに命を下した。
「明日早朝、出航する。」
翌、未だ夜が開け切らぬ頃、小西部隊の船、俄に帆を上げ、港より押し出た。
他家の船、これを見て叫ぶ。
「抜け駆けだ!」
他の船も慌てて出航の準備をはじめ、用意の出来た船から小西を追って港を出た。
ところが巳の刻(10時ごろ)、十里ばかり進んだところで突然風向きが変わり、
後続の船団は港に引き返す。
しかし先行した小西隊はその風の影響を受けず、
四十二里(約170キロ)を二時(約四時間)で走り、対馬豊崎港に到着。
この後風が悪く二日ほどここに逗留し、釜山へと向ったが、壱岐に残された船は、
その頃ようやく出航する有様であり、後続部隊が朝鮮に着いた頃には既に、
小西隊が釜山を攻め取り、忠州を占拠しようという状況であった。
この抜け駆けに諸将怒り、中でも加藤清正の怒りは甚だしく、
これが朝鮮役を通じての、
加藤、小西の対立の端緒となった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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