斎藤道三と織田信秀が、美濃国大垣城をめぐり合戦に及んだ。
この大規模な合戦の時に戦死した千秋紀伊守は、
悪七兵衛の異名で知られた、平家侍大将の平景清が所持していた、
「あざ丸」を帯びていた。
この刀「あざ丸」は千秋紀伊守の討死後に、陰山掃部助が入手した。
その後、大垣城の攻撃の際に城内より放たれた木鋒が、
陣中にあった陰山掃部助の左眼に当たった。
陰山掃部助はその矢を抜いたけれども、
今度は右眼に命中し失明してしまったという。
この後に「あざ丸」は丹羽長秀の所持するところとなったが、
間もなく丹羽長秀は眼病を煩ってしまった。
この刀「あざ丸」を所持すれば「必ず目を煩ふ」という風聞が流布し、
丹羽長秀は周囲の勧めもあって、
尾張国熱田神宮に進納したところ、間もなく眼病は快復したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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