板垣信方が、信州諏訪の郡代をしていたときのこと。
ある時、信方が甲州に帰って報告をし、また諏訪へと戻る前、
家のことなど万事を指示しておこうと、
息子・弥次郎の所に行くと、壁の折釘に、なにやら物を書いた扇が掛けてある。
これは弥次郎が書いた物かと思い、
「よいか、扇に物など書くというのは、高僧、公家。
または御館様のような身分の高い方々が、
我等の持っている扇をとってなされるものだ。
おまえがどれだけ書を良くしようと、
我々のような身分の者達が、書いて良いものではないぞ。」
と戒めれば、
弥次郎、
「これは十日ほど前に、御館様が自分の扇を取って書いて下さったものです。」
と言う。
信方は、立ち上がってその扇を見ると、そこには、
『誰もみよ みつればやがてかく月の いざようそらや人の世中』
そう書かれていた。
信方は目をつぶり、すこし考えてから、
「去る十月の事であった。
晴信様がお煩いになったので、わしが代官として七千騎を預けられ、
笛吹き峠で合戦を行い、勝利した。
その時、わしは床机に腰をかけたまま勝鬨を上げた。
その姿はまるで御館様のようであっただろう。
ところが意外にもその場に、晴信様はご出馬なされていた。
そしてわしの姿を、御舎弟・信繁様以上の振る舞いであると、そうおっしゃったとか。
それゆえに弥次郎、おぬしの扇にそのような歌を書いて下されたのであろう。」
信方はすぐに、諏訪郡代を辞職せてほしいと申し上げたが、許されなかった。
しかし、その後も申し上げ続け、諏訪よりも甲州で過ごす方が多くなったと言う。
これは信方が、主君を深く恐れている事を表したのだといわれる。
全てのものは、満れば欠けるのが道理である。
充分であればこぼれる。満足すれば驕りをなし、驕れば災いを呼ぶ。
誰であっても、常にそのように心得ておくべきである。
聖人もおっしゃっていたではないか、貧しくてへつらわない人はいても、
富ておごらない人はいない、と。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!