天文15年(1546)、
武田軍が、関東管領上杉憲政の軍を粉砕した笛吹(碓氷)峠の戦い。
この合戦の後、武田晴信は上杉勢の押さえとして板垣信方を置いた。
さて信方はこの陣営において、先の合戦で高名した者にも働きの無かった者にも、
皆に饗応をする、と触れた。
しかし、それには区別があり、先ず饗応の会場を上中下の三つに分け、
優れた高名を成したものには三の膳を、
中程の高名には二の膳、働きの無いものには本膳のみ、
さらに二の膳、三の膳には赤椀を用い、それに種々の魚鳥の料理が盛られていたが、
本膳だけの方は黒椀で、それに配膳されているのも精進料理であった。
しかし働きの無かった者とは言えこの差別は流石にいかがなものかと、
信方の家臣たちも懸念し、これを密かに信方に告げた。
これを聞くと信方、意外な顔をして、
「違う違う、お主達は勘違いをしている。
先の戦では慈悲深い連中が、後生大事だと言うことで敵の首をとらなかった。
こう言った者たちはきっと、平生より受戒を守って食事なども生臭をさけ、
精進食を食っているに違いない。
その者たちに肉食をさせ、わざわざ破戒の業をさせるのはこの信方の本意ではない。
だからそのように分けたのだ。」
つまりまあ、皮肉である。
しかしそう言って板垣は、家臣たちの諌めを聞くこと無く、
そのままの形で饗応を開き、
そのため手柄の無かった者たちは大いに面目を失った、とのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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