徳川家康は短気をおこして近習を叱ることがあっという。
こんな時、本多正信はどうしたか。
まず正信は現場にやってきて、
「上様、何故そんなにお怒りなのです。」
と聞いてみる。
家康は訳を話すのだが、ひどい時には口から泡を出したという。
正信は訳を聞くと、
「それは仰るとおりですな。
まったく貴様ともあろう者が、なんてことをやらかしたのだ!」
(えっ、なんでお前がそんなに怒るの?)
と家康以上の剣幕で怒るので、当の家康が黙ってしまう。
正信は続けて、
「いいか、お叱りではなくご教訓と心得るのだ。
上様はお前を一人前に育てようと思っておられるからこそ、お叱りになるのだ。
お前の父はあの戦で功があった。
それにあの城攻めではこうであった。
お前は父に負けぬように頑張るのだぞ。
一度、散々に叱られたからって落ち込むんじゃないぞ。
上様はお前を叱って喉がかわいておられるようだ。
お前が茶を奉るのだ。
さ、これからは元気を出して奉公せい。
落ち込んではならぬぞ。
上様もそのように思っておられる。」
と言って聞かせるのである。
この間に家康も自分が怒っていたことを忘れてしまうのだ。
正信は最初は叱っているのだが、途中から教訓と励ましに変わっていくので、
家康の怒りは和らぐし、近習も気を落とさなかった。
そのため、正信の生きているうちには、
側近で閉門や解任になった者はいなかったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!