酒井忠次は、主君である徳川家康が豊臣秀吉に臣従してからは、
寺社の復興に尽力し、眼病を患うと、
家督を嫡男の家次に譲り、
秀吉からかねてより、
「若者の師になって欲しい。」
と求められた為、京都の屋敷で隠居生活を送った。
秀吉からはそれまでの武功を評価され、朝鮮出兵における前線基地である、
肥前の名護屋城が完成した際の、場内に続く橋を、初めて渡る役を、
諸大名を差し置いて抜擢される栄誉を得ている。
一方で、家康に対する忠義心は全く衰えておらず、ある時、家康に対面すると、
「目が見えないのでござる。久しく様子を伺えておりませんが、お元気ですか。」
とその手を押し頂いたという。
そして、晩年は浄土宗への信仰に打ち込んだ忠次は、
わずかな身内に看取られながら、その生涯を閉じたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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