秀吉、次いで家康によって、禁教令が敷かれた頃だが、
上杉領ではキリシタン弾圧が、比較的緩やかだった。
景勝自身は、仏教徒であり、別にキリシタンに好意を抱いていた訳でもなかったが、
別段嫌っているわけでも無かったので、熱心に探して弾圧する気はなかったらしい。
そして米沢に移されたあと、
上杉家にも幕府から、
「領内のキリシタンを処罰せよ。」
と命令が来た。
しかし景勝はそれに対し、
「我が領内には一人のキリシタンもござらぬ。」
と回答し、
景勝の生きている間、米沢ではキリシタン捜索も処罰も行われなかった。
景勝は家臣領民のうちにキリスト教徒がいることは知っていたのだが、
「有能な家臣を殺す事は国の衰退に繋がる。」
と考え、
キリスト教徒であることだけを理由に家臣を処断する事を良しとしなかったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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