宇喜多家において大剛の勇士と世に知られた馬場重助は、
奥州の安倍貞任の子孫で、本姓は安倍であるが、
彼は馬場某の娘を妻とし、終には馬場重助と名乗った。
幼名を岩法師と言い、13歳で戸石の城主宇喜多大和守直家に仕え、
天文14年の合戦の時、彼は一番槍を合わせ、
傷を負いながら首一つ得て砥石城に帰った。
この時岩法師14歳であった。
宇喜多直家は、彼を賞賛し、岩法師の傷口に自ら口を当てて流れる血を吸った。
宇喜多直家の、勇士への扱いが、かいま見られる逸話である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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