慶長19年の事。
江戸御普請が行われていた頃、紅葉山の下、百間蔵の前で、
東堂和泉守(高虎)殿の衆が、小車4,5丁に石を積み、
人数4,5百でこれを引いていた。
一方、福島正則の衆は、大角石を千五百人ばかりで引いていたが、
この時、藤堂衆の引く小車の進むのが遅く、福島正則の衆の引く大石の邪魔となり、
福島衆は大変不快に思った。
この時、福島正則からは石引の奉行として、
眞鍋五郎右衛門、鎌田主殿の両人が付けられていたのだが、
眞鍋五郎右衛門は大変に立腹し、石引たちに申し付けた。
「あいつらが石を運んで空車で引き返す時、お前たちは綱を広げて置け!
そしてその綱の上を通ったなら、構わないか手に持った梃の木で、
あいつらを討ち散らせ!」
そう言っているところに、早くも空になった車を押して藤堂衆が戻ってきた。
何も知らず広げた縄の上を通った所で、福島の衆は梃の木を持って襲いかかり、
散々に討ち散らした。
そして、そのまま本多佐渡守(正信)の屋敷まで追い込み、そこで大喧嘩となった。
その頃、福島正則は屋敷で、
「どうして大石を運ぶのが遅くなっているのか。」
と苛立ち、普請場まで使いを立てていたのだが、
『邪魔だった藤堂衆を討ち散らした。』
との報告を受け、途端に機嫌が良くなり、
大いに笑われ、自身で普請小屋へと入られたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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