大庭賢兼は、元々は大内義隆の家臣で源氏物語などの古文に通じた武将であった。
年齢も元就に近く、家臣ではあるが元就とは和歌や古文の趣味友でもあった様だ。
そんな大庭賢兼、永禄5年(1562)に、
石見の小石見在陣中の元就の元へ雪のせいで遅参してしまう。
これに怒った元就、当初は怒りの余り賢兼に会おうとしなかったが、
雪が原因と判るや賢兼を許し、一首の和歌を詠み送った。
「石見がた 雪より馴るる友とてや 心のかぎりに打ち解けにけり」
(雪よりも親しく付き合っている友なのだから、
私の怒っていた心も解けたので、また元のように仲良くしよう。)
これに返して賢兼。
「石見がた かたき氷も雪もけふ とくる心のめぐみうれしも」
(あなたの怒りが今朝の氷や雪のようにとけた。
そのように寛大に許してくれた心遣いが嬉しい。)
こうして2人の仲は元度りになったそうな。
元就の和歌の添削をした三条西実枝もこのやり取りに対して、
「此の贈答、一豪のへだても聞こえず、誠に上下に怨なしといふ。
明文にかなへり。」
と評している。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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