元就の異母弟・相合四郎元綱。
元就と共に有田中井手合戦で初陣し、元就に劣らぬ武勇を示し、
「今義経」とも称えられた毛利一門の若き担い手である。
母は違えど兄元就との仲も良く、頼もしい弟であった。
毛利幸松丸が早世し、元就が家臣団の後押しで毛利家の家督を継ぐまでは・・・。
元就の毛利相続に不満を募らせた元綱は、数名の有力な家臣と結託し、
尼子や石見の高橋家と結んで元就に対する謀反を企図しはじめる。
それを察した元就は、琵琶法師・勝一を元綱の元に「話し相手」として送り出す。
話し上手・琵琶上手の勝一は、盲目の為警戒されずに元綱の居館・船山城に出入りし、
元綱の謀反の計画を探り元就に伝える、間諜としての役を果たすのであった。
元綱一派の決起が近づく中、
元綱は決起前の夜宴で平家物語の弾き語りをするよう勝一に依頼する。
もちろん元綱は勝一に謀反も決起も明かしては居ないが、
元綱一派の決起が近いのを察した勝一は元就に通報。
事ここに至っては弟を討つも止むなしと決意した元就は夜宴の最中の襲撃を企て、
合図などを決め勝一を再度船山城へ送り出す。
夜宴当日、元綱の居館船山城を志道広良率いる300の兵が急襲、
勝一の弾き語りが佳境となった時を見計らい兵が突入し、
元綱はじめ30人ほどがその場で討ち取られ、
勝一から元綱の同調人として名の挙がっていた、
坂広秀や渡辺通らも討たれたと言う。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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