天正10年(1582)3月12日に、
信忠卿(織田信忠)は、武田勝頼父子やその他の首を実検せられ、
滝川左近将監一益の大功を賞し給い、
吉光の脇差ならびに“一の日影”と名付けた名馬と金子5百両に感状を添えて賜り、
今回討ち取った首を関加平次・桑原助六郎に持たせて信長公の本陣に参られた。
(中略)
23日、(織田信長は)滝川左近将監一益に対し、
「今回、武田勝頼父子の首を得たのみならず、軍功は抜群であるから。」
と仰せられ、関東総管領を命じて、
「陸奥・出羽まで賞罰征討を沙汰し、
もし決し難き事があれば徳川殿の御旨を受けて計らうように。」
と仰せになり、伊勢の本領五郡に添え、信濃佐久・小県、二郡を賜り、
上野厩橋城に居城するように命じられ、
“海老鹿毛”という駿馬に脇差を添えて下賜された。
諸人羨まざる者なし。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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