慶次が秀吉に目通りした後、
京では、
「慶次が太閤の面前で大いにカブいた。」
という噂が広まった。
慶次を倒し名を揚げようという若者が相次いで現れ、
はじめのうちは彼らを軽く痛めつけて退けていたが、
狙うものは後を絶たなかった。
そしてある日、数人の若者に挑みかかられた時、
極めて残酷な方法で全員を殺して、無残な屍を四条川原に晒し、
「このようになりたければ何時でも参れ。」
と高札を掲げた。
その後は挑みかかるものは無くなったという話。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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