ここに一つの物語がある。
剛なる者も急なる時は、物の判断を見定めることができなくなるという話である。
黒田家の関ヶ原の戦場に出た者達6,7人が、
後に筑前で集まって話をしていた時、一人が言った。
「島左近の関ヶ原での振る舞いは、日頃名高きほどに見えた。
鞭を振り上げ、懸かれ懸れと叫んでいた声、今も耳に留まって不便である。
真っ黒な具足の、兜には立物もなく、差し物も差さず、柿色の羽織を着ていた。」
所が別のもの、
「いやいや、鼠色の羽織であった。」
別の一人は、
「いや、羽織はつけていなかった。」と言った。みなまちまちの見覚えであった。
「さても各々も私も、戦場であってもそれほどうろたえるような人間ではない。
それがこのように記憶が違っているのはおかしくも不審なことだ。
そういえば誰々は、元は治部少に仕え、しかも関ヶ原であの場におり、
良く覚えていると聞く。彼を呼び寄せ、尋ねて不審を晴らそう。」
そう言ってこの3人は旧三成家臣の者を呼び寄せ問うと、
その時の島左近の兜の立物は、朱の天衝三尺ばかり。
具足は樋皮溜塗り菱綴、その上に木綿浅葱の羽織に縄を帯にしていた、
という。
「さてもさても恥ずかしきことだ。
この座の者達が度々武功をなした者でなかったら、
その身の恥ともなっただろう。不思議なることだ。」
一人はそう言ったが、その中でとりわけ物慣れたものが、
「いや、我らの事ながら、これも理だ。その時のことを思い出せば、
今も身の毛が立つぞ。
あの時は一息切断の所であったので、顔をもたげ、
敵の面を見る事も出来なかったので、
各々も覚えていないのであろう。
島左近と聞けば、今でも気分が悪くなる。
鉄砲によって討ち取らなかったら、
我々の頸が何の手間もなく取られたであろうよ。
今、このように良き座敷で、しかも心安い友ばかりで、
良き振る舞いを食い、気ままに酒を飲み、良き茶を飲み、寝ながら話をする。
そんなことは出来なかっただろう。
そんな状況であったから、大方の者達が目の仏を失ったのだろうな。
これまでと印象が変わったからといって、
我々を笑わないでくれよ若い衆たち。」
そう語った。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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