戸次道雪は、若いころ雷にあたったため、歩行することが出来なかった。
そのため常に手輿に乗り、二尺七寸ばかりの高田打の刀、
種子島の鉄砲一挺、三尺ばかりの手棒に腕貫をつけて、
いつも手奥に入れていた。
また長刀だけを持った若侍を、定衆と名付け、これを100人、徒歩にて召し連れていた。
合戦が始まると、道雪はこの定衆に手輿を担がせ、
敵との距離が近くなれば、手棒にて乗り物の縁を叩き、
自身で、
「えいとう!えいとう!」
と声高に音頭を取った。
この拍子に合わせて、
「輿を担ぎ、あの敵の真ん中に担ぎ入れて、そこに捨てよ!」
と、いきり立った。
手棒の拍子より少し遅いと思えば後先の担ぎ手を手棒にて打ち、
打たれたものは敵の面前で、
逃げたかのように互いに笑われたので、
彼らは面も振らずに輿を担ぎ入れた。
輿を担がないものは、長刀を抜き先に進んで攻めかかった。
先手の者たちは道雪の拍子が聞こえてくると、
「すわ、例の音頭が出たぞ!懸かれ!」
と、優れた勇士たちが斬りかかるので、いかなる堅陣と言えども、駆け破られない、
ということはなかった。
しかし戦の習い、道雪の戦において先手が追い立てられることも度々あった。
それでも旗本が堅く踏みとどまるため
幾度も追い返し、最後に勝利したという。
この様であったので、道雪の家来には合戦のたびに、
今日は幾度も槍を突いた、と言うものが大変に多かった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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