慶長4年(1599)、
大阪での市街戦にまで発展しかけた宇喜多騒動。
これにより宇喜多家から、
宇喜多詮家(坂崎直盛)、戸川達安、岡越前守、花房正成といった
多くの有力家臣が出奔。
宇喜多の威勢は大きく減退したという。
さてその頃、京大阪ではこのような狂歌が広まったそうだ。
曰く、
『 われて後 つがれぬ物は備前鉢 つかふものにも用心をせよ 』
つまり、
「一旦関係が悪くなればもはや修復できないのが、
備前を領有している宇喜多家である。
宇喜多の武士は自分たちを使っている宇喜多秀家に用心をせよ。」
と言う意味を込めている。
そんな、宇喜多騒動への庶民の反応である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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