慶長の頃、
長雨と台風で山形城北三の丸を流れる城川(白川・馬見ヶ崎川)の水が増水し、
堤防の水位が上がった事を聞いた最上義光は、
落ち着きがなくなり川の様子を見に行こうとした。
家臣らが、
「川は危険です。報告は私共が行いますので殿(義光)は、
全体の指示をお願いします。」
と奏上すると、
義光は、
「そなたらの報告はたしかに承っておる。しかし川は城のすぐ先。
故事に一見は百聞よりも勝る(百聞は一見にしかず)と言う。
川付近の民らにきちんと避難勧告は届いてているのか?
川もたしかに気になるが民あっての義光である。
氏江(氏家守棟か氏家光氏か)、ここは任せる。ワシは川を見に行く。」
と馬に乗って城を出て行ってしまった。
川の増水を見、堤防の決壊を察した義光は矢継ぎ早に家来や肝入(庄屋・名主)に、
僧や民らを川上の山方に避難させた。
川は氾濫し、この洪水で北山形の龍門寺周辺までが大水に漬かったが、
義光の行為で人的被害は軽減されたと伝わる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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