寛永13年(1636)5月、
病躯を押して江戸に参勤した伊達政宗であったが、
江戸に置いても病状は深くなり、将軍家光から多くの医者を派遣などされるものの、
その身は日に日に痩せ、体力も衰え、
18日には薬や湯水すら竹のす(ストローのような物)を使わないと飲めない、
というような有様となっていた。
この日、政宗はつくづくと、
「わしはどんな死病にかかろうとも、
これほどまでに疲労し弱り果てるわけはないと思っていたが、
体中からだんだんと体力が奪われ衰えていく、実に口惜しいことだ。
湯水を飲むのに竹のすを頼りにするなんて、
こんな情けないことはない。
こうして体力が無くなっていって、その後、心も失せるのだろうな。」
と言ってカラカラと笑った。
これを聞いたお側の小姓たちは、思わず声を上げて涙をこぼした。
と、これを見た政宗はキッと目を怒らせ、
死にかけの病人とは思えぬ大声を出して、
小姓たちを叱りつける。
「わしの身近くで働く者に似合わない、未練至極の振る舞いである!
死ぬその瞬間まで、武士とは名を惜しみ恥を思うものだ。
弱気を見せぬことこそ男の役割である!
この武士の道を反する者は、誰であっても許さん!
本当のことだか知らないが、
釈迦が入滅するときは川に住む小魚まで集まって別れを惜しんだそうだ。
その時、天から釈迦を救うための薬の入った袋が下されたというが、
それは途中樹の枝に引っかかり釈迦に届くことはなかった。
これはどんな人間でも死ぬ時が必ず来る、と言う事を表した説話であろう。」
政宗は心底腹を立てている様子であった。
が、ここで声を和らげ、
「まあ、そんなふうに言ったがお前たちがそのように泣いたのも、
考えて見ればしょうが無い。
お前たちは幼い頃からわしの身の回りを片時も離れす召し使われてきた。
そのため世間を知らず、死ぬほどの病人を見たこともないだろう。
そういう経験がないから、わしももう死ぬのではないかと思ってしまったんだな?
なあに、死ぬ病人なんてものは、今のわしの病状程度ではすまぬぞ!」
と、優しく言葉をかけた。
この政宗の言葉に小姓たちは、却って更に泣き出してしまったそうである。
政宗の死はこの日から6日後の、5月24日であった。
死を目前にした伊達政宗が、その厳しさと優しさを垣間見せた逸話である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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