上杉謙信の家臣に、田中太郎兵衛という人がいた。
「田中」で「太郎」で「兵衛」である。この時代でも相当地味な名前ではなかろうか。
ところがこの田中さん、こんな地味な名前に反して、
当時の上杉家でもなかなか有名な勇者であり、
謙信から直々に『功眼の者』と言う呼び名を頂いていた。
これは田中が、敵の陣を見てその強弱を見計るのが抜群に上手かった事による。
さて、その田中さんだが、これまた地味な名前と裏腹に、その旗指物も中々派手だった。
曰く。
『先手引けば後殿(しんがり)』
「攻めるときは先手を、引くときは殿をやってやるぜ!」と言う、
勇者らしい決意表明を書いたものである。
ところがある時、これを知った上杉謙信、たちまち気分を悪くしてこう評した。
「そういう指物の文字は、若者が血気に任せて書くような、誤った物である。
合戦のベテランかつ功眼の士である田中が付けるのに、相応しい物ではない。」
田中太郎兵衛、これを聞き慌てて指物の文字を書き換えた。
曰く。
『魁殿(さきがけしんがり)は日の宜によるべし』
「先駆けをするのも殿をするのも、その時そのときの状況によります。」というわけだ。
この事を聞いて謙信、たちまち機嫌を直した、とのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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