関ヶ原合戦の後、土佐に帰っていた長宗我部盛親は、
大阪の家康の元に弁明に赴く事に決め、その安全祈願のため、
かねてより信仰している柏尾観音へと参拝をした。
盛親の一行が、あと十四、五町(約15キロ)ほどに近づいた時の事。
観音堂から白い布が、二十丈(約60メートル)ばかりも立ち上がった。
盛親をはじめ供の面々まで、突然の不思議に目を凝らして見つめていると、
布に見えたのは白雲であり、それはだんだんと薄くなっていったが、
その雲の中にやがて観音の御姿が顕れ、それもやがて消えた。
これに皆、奇異の思いをなしていたところ、突如観音堂より火の手が上がった。
人々驚き、慌てて観音堂に駆けつけたが、
着いた頃にはもやは観音堂は、灰燼と化していた。
これに盛親もどうすることも出来ず、ただすごすごと引き返したそうである。
人々は、
『これは観音が、長宗我部家を見放したのだ。』
などと噂しあった。
盛親もこの不思議が、心に引っかかっていたものの、
今更翻す事もできず、大阪に向って出航した。
その後の改易、皆、知るところである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく

ごきげんよう!