楽巌寺雅方 (らくがんじ まさかた)  | げむおた街道をゆく

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楽巌寺 雅方(がくがんじ まさかた、生没年不詳)は、戦国時代の武将、信濃国楽巌寺城主。通称は右馬介か。
元は釈尊寺の末寺・楽巌寺の僧侶で、剛勇で知られたという。村上義清とともに武田信玄に抵抗していたが、天文17年(1548年)頃に帰順した。以後は望月信雅の配下に置かれ、楽巌寺城を築城してそこに居城したという。
天文19年(1550年)の砥石城の戦いでは、籠城衆に加わって武田氏に抵抗したという(『甲陽軍鑑』)。
村上義清の家老である室賀光氏も楽巌寺姓を名乗っているが、光氏との関連は不明。同人とも考えられるが、光氏は天文23年(1554年)に没しているので別人であろう。


以上、Wikiより。



楽巌寺雅方