山崎吉家 (やまざき よしいえ) | げむおた街道をゆく

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山崎 吉家(やまざき よしいえ、生年不詳 - 天正元年8月14日(1573年9月10日))は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越前国の戦国大名朝倉氏の家臣。山崎長吉(小次郎祖桂)の子。新左衛門尉、長門守と称す。弟に吉延、子に吉健。



ー 生涯 -
山崎長吉(小次郎祖桂)の子として誕生。
朝倉宗滴に従い加賀一向一揆と戦うなど軍略に優れ、越後国の上杉氏や美濃国との外交にも関与した。特に主君の朝倉義景と織田信長との抗争の際には小谷城の浅井長政を救援しよく持ちこたえさせ、織田家の部将森可成らを討ち取る(宇佐山城の戦い、志賀の陣)など活躍した。
天正元年(1573年)、刀禰坂の戦いでは退却する朝倉軍の殿軍を任され奮戦したが、織田軍の執拗な追撃の前に力尽き、弟の吉延、子の吉健ら一族のほとんどを含めた多くの将兵と共に戦死した。
後に明智光秀や前田利家に仕えた山崎長徳は吉延の子で、吉家の甥ともいわれている。


以上、Wikiより。



山崎吉家