本多利朝 (ほんだ としとも) | げむおた街道をゆく

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本多 俊政(ほんだ としまさ)は、戦国時代の武将、江戸時代前期の大名。大和高取藩の初代藩主。
天文20年(1551年)、本多利久の長男として生まれる。なお『系図纂要』では利久を水野利忠とし、足利義視の庶子という水野義純(左兵衛尉)の子孫とする。
父と共に豊臣秀長、その死後は豊臣秀保に仕え、文禄・慶長の役では壱岐勝本城に兵500を率いて在番し、朝鮮渡海軍のための兵站物資の海上輸送と島内の治安維持に当たっている。文禄4年(1595年)に秀保が死去すると、豊臣秀吉の家臣となった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、東軍に与して会津征伐に従ったため、居城である高取城は西軍に攻められたが、城主の俊政がいなかったにもかかわらず家臣だけで守りきり、城は遂に落ちなかった。このため戦後、所領を安堵されて高取藩主となった。
慶長15年(1610年)閏2月8日に死去した。享年60。跡を長男の政武が継いだ。


以上、Wikiより。



本多利朝