長尾当長 (ながお まさなが) | げむおた街道をゆく

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長尾 当長(ながお まさなが、旧字体:長尾當長)は戦国時代の上野国の武将。



ー 概要 -
足利長尾家当主。父の跡を受け家督を継ぐ。主君であった上杉憲當(新字体:憲当)から偏諱を拝領して當長(当長)と名乗り[2]、関東管領家の家宰として活躍して天文17年(1548年)に行われた足利藤氏の元服の功によって但馬守の受領名を受けた。だが、憲当から名を改めた憲政が、後北条氏に圧迫されるように関東から撤退すると、関東管領家家宰職も事実上消滅し、当長も北条氏康に降る。
永禄3年(1560年)に一旦出家して「禅昌」と名乗るが、同年11月には再び還俗して「當長(当長)」に名を戻す[1]。翌年3月、上杉憲政が家督や関東管領職等を養子の長尾景虎(のちの上杉謙信)に譲ると、4月にはこの景虎より偏諱を与えられて、祖父と同じく「景長」を名乗った[1][3]。やがて上杉政虎と改名した景虎が関東出兵に乗り出すと同じ長尾氏としてこれを支援する。政虎が後北条氏を圧迫し、後に越相同盟まで結ぶようになると、上杉・北条両家の軍事的・外交的な折衝に当たった。
景長の死後は婿養子の顕長が跡を継いだが、館林城は同じく婿であった広田直繁に与えられたようである。また、男子に北条氏政から偏諱を受けたとされる長尾政長(まさなが、読みは当長と同じ)[1]がいたとされるが、顕長が跡を継いでいることから早世したものと考えられる。


以上、Wikiより。



長尾当長