東禅寺勝正 (とうぜんじ かつまさ) | げむおた街道をゆく

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東禅寺 勝正(とうぜんじ かつまさ、1546年(天文15年) - 1588年(天正16年)8月)は、、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大宝寺氏の家臣。通称は右馬頭。東禅寺義長の弟。
1583年、兄の義長と共に主君の大宝寺義氏を暗殺した。その後、尾浦城を兄から任されたが、1588年に本庄繁長率いる上杉軍と戦い(十五里ヶ原の戦い)、兄義長討死の報を受けるや繁長の本陣に単身で奇襲をかけ壮絶な討死を遂げた。享年43といわれる[1]。


以上、Wikiより。



東禅寺勝正