天童 頼貞(てんどう よりさだ)は、戦国時代の武将。最上八楯と称される最上氏庶流天童氏の第16代当主。天童城(舞鶴城)主。
天童頼道の次男。兄頼長の死後、家督を継ぐ。主家最上家で家督争い(天正最上の乱)が起こると義守側に付いた。
だが義守と義光に和議が成立して義光が家督を継ぐと、これを不服として反乱を起こした。天童家を盟主とした最上八楯は天正2年(1574年)、伊達輝宗の援軍と共に寒河江城を攻略。天正5年(1577年)、義光の天童城侵攻を跳ね返し、義光は頼貞の娘を側室として迎えて和睦した。
以上、Wikiより。