筑紫惟門 (つくし これかど) | げむおた街道をゆく

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筑紫 惟門(ちくし これかど、享禄4年(1531年) - 永禄10年(1567年))は日本の戦国時代の武将で、筑前と肥前の国境地域を支配した大身筑紫氏当主。父は筑紫正門か。子に筑紫広門。
初め少弐氏に仕えていたが、主家が衰退したために、大内家の筑前侵攻に呼応して大内氏に仕えていた。大内氏滅亡後、大友氏の影響下に置かれるが、惟門はひそかに毛利氏と手を結び、毛利元就の九州進出に対し、秋月文種と呼応し、挙兵した。しかしこれは失敗に終わり、文種は自刃し、惟門は嫡男の広門らと共に山口へ逃走する。後、毛利家の支援の元、元の所領に帰り咲く。
しかし、永禄10年、高橋鑑種・原田了栄・秋月種実・宗像氏貞らと共に挙兵し、再び大友氏と戦うものの、大友家臣・斎藤鎮実の攻撃を受け、自害した。


以上、Wikiより。



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