大掾 清幹(だいじょう きよもと、天正元年(1573年) - 天正18年(1590年))は、安土桃山時代の武将。常陸国府中城城主を代々務め、大掾満幹より続く大掾氏の最後の当主。大掾貞国(さだくに)の子。正室は真壁久幹の娘[1]。
父の死により5歳で家督を継ぐ。小田氏治・江戸重通らと勢力を競うが、佐竹義重の介入を招き、天正16年(1588年)には義重に降伏した。しかし、2年後の小田原征伐には北条氏と結んで参陣しなかったために佐竹義重の進攻を招き、同年12月に府中城を攻め落とされて自害、大掾氏は滅亡した。
以上、Wikiより。