小出秀政 (こいで ひでまさ) | げむおた街道をゆく

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小出 秀政(こいで ひでまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。和泉岸和田藩主。出石藩小出家初代。
織田氏の家臣小出政重(正重)の長男。正室は豊臣秀吉の母・大政所の妹で、秀政は秀吉の叔父(叔母婿)に当たる。



ー 生涯 -
秀吉に仕え、後に和泉岸和田に3万石の所領を領した。 慶長元年(1596年)、豊臣姓を下賜された。
秀吉の死の直前に、遺児秀頼の補佐を秀吉から依頼された。その経緯から、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは長男の吉政と共に西軍に与して、東軍に与した細川幽斎の守る丹後国田辺城を攻撃した(なお、秀政は大坂城で秀頼と共にいた)。そのため、本来ならば戦後に処罰されるはずであったが、次男の秀家が東軍に属して関ヶ原本戦で活躍したため、所領を安堵された。秀家は父に先立って病没している。


以上、Wikiより。



小出秀政