飯尾定宗 (いのお さだむね) | げむおた街道をゆく

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飯尾 定宗(いのお さだむね / いいのお さだむね、生年不詳 - 永禄3年5月19日(1560年6月12日)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。尾張中島郡奥田城主。官位は従四位下近江守、侍従。父は織田敏宗(または織田敏定)。妻は細川晴元の娘[1]。子に飯尾尚清(信宗)、飯尾重宗(敏宗)。織田氏流飯尾氏の祖。
織田敏定の子で織田信秀の叔父[2]、または敏定の孫で信秀の従兄弟[3]とされるが、織田敏定と定宗及び子の尚清の年代から見ると、後者のほうが有力とされる。奥田城主となり、斯波氏の一族とされる尾張の土豪飯尾氏の養子となった。弘治2年(1556年)6月、織田信長に従って、子の尚清とともに守山城攻めに従軍。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで信長の命により、子の尚清と叔父の織田秀敏とともに今川軍の備えで鷲津の砦に置かれる。しかし、5月19日に朝比奈泰朝ら今川軍の猛攻をうけ敗死した[4]。家督は嫡男の尚清が継いだ。
室町幕府将軍の直臣として、相伴衆に加わったとされるが、おそらくは幕臣の飯尾氏と混同されたものと思われる。


以上、Wikiより。



飯尾定宗