石田重家 (いしだ しげいえ) | げむおた街道をゆく

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石田 重家(いしだ しげいえ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。石田三成の嫡男。官位は隼人正。



ー 生涯 -
天正11年(1583年)、石田三成の嫡男として生まれたとされる。
慶長5年(1600年)、重家は大谷吉継から上杉討伐に出陣する徳川家康の下へ参陣するように勧められるが、関ヶ原の戦いが勃発したため、豊臣家に対する人質として大坂城に留め置かれる。しかし、関ヶ原における西軍大敗の知らせを知ると、重臣の津山甚内や乳母らによって密かに京都妙心寺の塔頭寿聖院に入り、住職の伯蒲恵稜によって剃髪して仏門に入った。
重家は京都所司代奥平信昌を通じて助命を嘆願し、家康に許される。後に寿聖院の三代目を継いだ。ちなみに、寿聖院は三成が実父正継のために建立した寺である。
貞享3年(1686年)閏3月8日、死去。享年104(生年には異説が多く、正確な年齢とはいえない)。法号は宗享。一説に、晩年の重家は仏門から還俗して和泉国岸和田藩の藩主・岡部宣勝の庇護を受けながら、岸和田で死去したという説もある。また、後に春日局の側近として大奥で仕えることになる祖心尼に禅を教授したとも言われている。


以上、Wikiより。



石田重家