粟屋元親 (あわや もとちか) | げむおた街道をゆく

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粟屋 元親(あわや もとちか、生年不詳 - 永禄4年(1561年))は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。幼名は赤法師。通称は弥三郎、縫殿允。官途は備前守。父は粟屋元忠、祖父は粟屋元秀。子に粟屋元著、粟屋元信、粟屋元如。



ー 生涯 -
毛利元就に仕え、天文9年(1540年)に内紛を起こしていた平賀氏の頭崎城攻撃や、同年秋から始まる吉田郡山城の戦いにも参戦して戦功を挙げた。
天文24年(1555年)の厳島の戦いの後の防長経略でもその武勇を発揮した。また、毛利隆元の側近として内政面にも優れ、毛利氏の五奉行制度が成立すると、赤川元保、国司元相、桂元忠、児玉就忠らとともに、その一人として活動した。
永禄4年(1561年)死去。家督は次男の元信が継ぎ、五奉行職も元信が引き継いだ。


以上、Wikiより。



粟屋元親