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記事の続きです。


ここでは、鉄道に関する写真と、

震災の傷が生々しい中、子供たちの

ほのぼのとした写真や、被災地に来られた

有名な方をご紹介します。



鉄チャンズ2号のいろいろ日記-111025-11
津波と火災によって焼け焦げた

JR山田線・陸中山田駅 【岩手県・山田町】


鉄チャンズ2号のいろいろ日記-111025-12

津波で民家のすぐ近くまで押し流された

気動車 【宮城県・気仙沼市】


鉄チャンズ2号のいろいろ日記-111025-13

津波で高台まで押し流された気動車

【宮城県・女川町】


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地震で線路がゆがみ横転したタキ車

【多賀城市】



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津波でJR仙石線・野蒜駅ホームに

流入した土砂を撤去する在日米軍の方々。

【宮城県・東松島町】



ここから、子供たちと、被災地に来られた

有名な方の写真です。


沢山の有名な方々が被災地に来られました。

写真はほんの一部です。



鉄チャンズ2号のいろいろ日記-111025-16

自衛隊の隊員と子供が自転車に乗っているシーン

【撮影場所  宮城県・南三陸町】


この写真ですが強烈な印象があります。

震災後、暗いニュースばかり報道されていましたが、

この写真を見て、久々笑顔になった事を思い出します。


自衛隊員は、九州の大分県の隊員の方で、

子供さんは、撮影地の避難所に居た子供さんです。

ここの避難所では、隊員と子供さんと遊ぶ姿が

多く見られたそうです。


鉄チャンズ2号のいろいろ日記-111025-17

避難所での子供さんの様子


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写真左  宮城県女川町の復興を願い

水産加工会社の方と握手をしている中村雅俊さん


写真右  宮城県東松島町の避難所に訪れた

東北楽天の田中将大投手


中村雅俊さんは、女川町出身です。

水産加工会社ですが、震災直後、津波被害の

無かった工場を動かして、加工品を避難所に

温かい加工品を届けました。

水産加工会社は「高正」です。



鉄チャンズ2号のいろいろ日記-111025-19
こんな感じで展示されていました。



別の場所では、仙台市民が撮った

震災に関する写真が展示されていました。


鉄チャンズ2号のいろいろ日記-111025-20
コンビニに商品が全くありません


コンビニが閉店すると言う事でなく、

震災直後、コンビニでは商品が

全く無い状態が続きました。


震災から、7ヶ月半が経過しています。

もう7ヶ月半なのか、まだ7ヶ月半しか

経過していないなのか・・・


写真を見て震災直後の記憶が蘇りました。