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記事の続きです。
ここでは、鉄道に関する写真と、
震災の傷が生々しい中、子供たちの
ほのぼのとした写真や、被災地に来られた
有名な方をご紹介します。
JR山田線・陸中山田駅 【岩手県・山田町】
津波で民家のすぐ近くまで押し流された
気動車 【宮城県・気仙沼市】
津波で高台まで押し流された気動車
【宮城県・女川町】
地震で線路がゆがみ横転したタキ車
【多賀城市】
津波でJR仙石線・野蒜駅ホームに
流入した土砂を撤去する在日米軍の方々。
【宮城県・東松島町】
ここから、子供たちと、被災地に来られた
有名な方の写真です。
沢山の有名な方々が被災地に来られました。
写真はほんの一部です。
自衛隊の隊員と子供が自転車に乗っているシーン
【撮影場所 宮城県・南三陸町】
この写真ですが強烈な印象があります。
震災後、暗いニュースばかり報道されていましたが、
この写真を見て、久々笑顔になった事を思い出します。
自衛隊員は、九州の大分県の隊員の方で、
子供さんは、撮影地の避難所に居た子供さんです。
ここの避難所では、隊員と子供さんと遊ぶ姿が
多く見られたそうです。
避難所での子供さんの様子
写真左 宮城県女川町の復興を願い
水産加工会社の方と握手をしている中村雅俊さん
写真右 宮城県東松島町の避難所に訪れた
東北楽天の田中将大投手
中村雅俊さんは、女川町出身です。
水産加工会社ですが、震災直後、津波被害の
無かった工場を動かして、加工品を避難所に
温かい加工品を届けました。
水産加工会社は「高正」です。
別の場所では、仙台市民が撮った
震災に関する写真が展示されていました。
コンビニが閉店すると言う事でなく、
震災直後、コンビニでは商品が
全く無い状態が続きました。
震災から、7ヶ月半が経過しています。
もう7ヶ月半なのか、まだ7ヶ月半しか
経過していないなのか・・・
写真を見て震災直後の記憶が蘇りました。