オールスターで8者連続三振を奪ったもののその年以降の成績は


85年11勝7敗、86年16勝6敗、87年13勝5敗と毎年二桁勝利でしたが


防御率は下降気味で江川の代名詞の奪三振が激減。100球肩など言われ


完投数も減りストレートのキレもなくなってきました。しかし当時、阪神タイガース


の史上最強の助っ人ランディ・バースが王監督の7試合連続本塁打の記録が


かかり巨人戦。江川は真っ向勝負して結局最終打席に本塁打を許してしまいました。


そんな怪物江川も終わりはあっけなく1987年9月20日広島戦で小早川から


サヨナラホームランを打たれてガックリ膝を落としベンチに戻る際は何やら


目から光るものすら見えて様子もおかしかったですがこれで引退を決めました。




     龍馬の日記


85年のオフから中国鍼治療をしていたと引退の会見で説明しました。しかし

今回小早川選手にサヨナラホームランを打たれた球はいつもならファールか

もしくは打てないはずの所に投げて打たれたのも原因の一つ


この年江川は13勝しているしまだ出来るだろうと思われるが本人はこれで

次の年も続ければ二桁勝てないと考えそれも引退を考えた原因とも言われます。


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江川はプロ生活9年通算、135勝72敗3セーブ、奪三振1366、防御率3,02


数字的には200勝したわけではないですが色々な記憶を残してくれました。


少し早い引き際でしたがそれも怪物江川を印象付けるに十分です。



 
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江川がもし現在にいて松坂やダルビッシュ達と投げ合いイチローや松井との


対戦が実現していたらと思わせるくらいの投手だった事は間違いないです。