古事記で国譲りと言えば
建御名方神が武甕雷神に負けて諏訪湖まで逃げたとなっています。
しかし諏訪では建御名方神が突然やってきたとされています。
そして諏訪地域は狩猟で生活をしていましたが、建御名方神により稲作が広まった。
だとすると建御名方神が来たのは弥生時代以降になります。
神武天皇が紀元前660年から紀元前585年まで
弥生時代は紀元前300年からだとすると国譲りは神武天皇の死後という事になります。
出雲族から大和族(瓊瓊杵尊)に国譲りは行われましたが、神武天皇は瓊瓊杵尊の孫ですのでおかしいんです。
そもそも古事記・日本書紀は大和族の都合の良いように作っていますので物語として読んだ方がいいです。
ちなみに考古学で実在が確認されている天皇は雄略天皇(456年)からです。