スピリチュアルを勉強したり、チャネリングをしていると宗教や神道への信仰心とは依存だと思うようになります。


縄文時代以前は山や海や宇宙に感謝する自然信仰でした。


アラハバキ信仰あたりから出雲族など渡来人と一緒に海外の龍蛇神信仰が入ってきて本来の日本の信仰からずれてしまいました。


更に弥生時代になるとヤマト族の擬人化した信仰に変わります。擬人化したほうが依存させやすいからです。この流れは世界中であります。


支配者は「私は神である」「神の取次社である」と言って被支配者を従わせる為に宗教を作ったという説があります。


キリスト教とイスラム教の国は信仰心が強いとされていますが、過去には植民地政策や戦争などをしています。


信仰心というのは美しいのでしょうか?


信仰心が強い国ほど戦争をするんです。


あるべき姿とは縄文時代以前の自然信仰。


神様に依存しないで、魂の先輩とする。


スピリチュアルでは我々は創造主の分け御霊と言います。


だとすると神様と呼ばれている存在も創造主の分け御霊なんです。


だったら先輩ですよね。


日本人は信仰心がないと言いますが、それ位がちょうどいい。


自分の魂と向き合うことがスピリチュアルです。


神社仏閣ソムリエの私は神社仏閣では


「先輩こんにちは」


って言ってます。


土地を守ってくださる近所の神社には


「守っていただきありがとうございます」


って言うといいです。