成田山参りの際にセットで参拝されていた宗吾霊堂。
佐倉宗吾(木内惣五郎)祀ったお寺です。
佐倉宗吾の生涯は幕末後、歌舞伎の演目「東山桜荘子」になりました。
その事もあり、成田山参りの帰りに寄っていたようです。
佐倉宗吾とは
江戸時代初期、4代将軍徳川家綱の時代、今から約360年前のことです。
打ち続く凶作と過酷な重税に苦しむ農民たちを救うため、木内惣五郎(佐倉宗吾)ら6人の名主たちが幕府に農民の窮状を訴えました。
しかし、その訴状は受入れられず、木内惣五郎は、当時禁じられていた将軍への直訴を決行。
この直訴により、農民たちを苦しめていた重税が見直され、村々の願いはかなえられましたが、惣五郎は処刑されることに、惣五郎の家族までもがその対象となり、承応2年(1653年)8月3日(旧暦の8月3日)、幼い子供らまで刑に処せられました。まさに命がけの直訴でした。
それから100年後、宝暦2年(1752年)、佐倉藩はその失政を悔い、木内惣五郎の名誉を回復し、「宗吾道閑居士」の法号を諡号(しごう)し、以来「宗吾様」と呼ばれるようになりました。