東京に来てみて驚いたこと


学生時代から「鉄道」にハマってた私。


初めての「本州遠征」は確か中学2年の夏休みでした。


まだ青函連絡船が現役でした。


鈍行メインの移動です。


青函連絡船は深夜便を使い「宿代」を浮かし

東北線を乗り継ぎ
都内に入るのが18時くらいの行程。


当時は夏期を中心に夜行臨時が数多くあり


その時に乗ったのが
「逗子発~信濃大町行き」という臨時快速


今思えばメチャメチャなマニアックな臨時設定でした。


確か横浜から貨物線(今の湘南新宿ライン?)を経て中央線に乗り入れた記憶があります(定かじゃありません)


客扱いが逗子、大船、横浜の次がイキナリ小淵沢か辰野だったはず
(渋谷や新宿は通過扱い?)


初めての都内で一番不安だったのは


乗り換え


上野や東京といったターミナル駅は
時刻表の番線案内でも「10何番ホーム」とか平気で存在する
しかも順番に列んでるワケじゃなく


秋葉原みたいにクロスされたり
地図を見ただけでは判読不能。。。


どうにかして都内を抜け出し
「ハマ」の逗子に行かねば……


その時とった考えは
「別に上野や東京で乗り換えなくたって良いんじゃない?」


東北本線の浦和で降りて京浜東北に乗り換え(大宮で乗り換えるのも不安だった(笑))上野、東京、品川も延々と乗り川崎か鶴見で東海道に乗り換え横浜の乗り換えもスルーして戸塚でやっと横須賀線にのり逗子に辿り着いた。


当時はまだ京浜東北は快速運転されてなく
上野口とを移動するには東京口の「国鉄」乗り換えは山手線が主体でした。
今だと湘南新宿ラインを経てスルーで移動できるのは有り難い事です。


この「マニアック臨時快速」は全席指定。
当然指定席を手に入れなければ乗れません。

北海道の片田舎の駅で「みどりの窓口」の職員に


時刻表片手に

「この臨時快速の指定取って下さい」と依頼すると


窓口氏………
困惑。。。


あらゆる資料を手にして
北海道総局に連絡しても解らず。


結局は横浜か逗子の駅に問い合わせ
端末をパタパタさせてました。


この間。3時間。。。


私は事務室で眺め


「たかが300円の指定券を取るのにドエライ苦労させてしまったわ」


「はい!兄ちゃんやっと出来たよ~」
貰いました。

「良い旅してこいよ」

昭和61年の夏の事でした。
そのあとも何度か「変な切符」を求め四苦八苦してましたが

当時対応してくれた職員の方は一昨年に定年退職され
今でも町で会うと「元気か~」と気遣かってくれます。